漢の武帝に愛された皇后は「100人から選ばれた幼女」と「歌手から大出世したシンデレラガール」だった…不妊治療に90億円、本気すぎる妊活も

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さて、衛子夫は低い身分の出身だった。昔の東洋では、歌舞音曲のプロの女性である「娼妓」は、しばしば枕芸者と同一視されたのだ。彼女の母親は衛媼(えい おん。衛おばさん)と言い、下女だった。衛子夫も、その姉と妹と弟も、衛媼が男性と婚姻関係をもたぬまま産んだ子だった。子どもたちは母親の姓を名乗ったのである。

中国の後宮ではよくあることだが、武帝は衛子夫を後宮に入れたあと、1年以上も彼女の存在を忘れていた。

陳皇后の意向もあり、後宮の女性のリストラを行うことになり、衛子夫は武帝に謁見し、涙を流しながらいとまごいをした。武帝はかわいそうに思い、寵愛した。衛子夫は妊娠と出産を繰り返し、陳皇后の嫉妬と呪詛にもめげず、立て続けに皇女を産んだ。そしてとうとう、武帝の長男を産んだ。その功績で、皇后に昇格した。

シンデレラ顔負けの強運と美貌も加齢には勝てず

衛子夫の実弟である衛青(?〜前106年)も苦労人だ。北方遊牧民族の匈奴と境を接する辺境の地で、鞭打たれる奴隷と同然の過酷な労働者生活を送っていた。だが、姉の七光で、武帝に引き立てられて軍人となる。衛青は人柄も軍事的才能もすぐれており、対匈奴戦で抜群の功績を挙げ、大将軍にまでのぼりつめていく。

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衛青の甥の霍去病(かく きょへい。前140年〜前117年)も天才的な軍人で、対匈奴戦で活躍した。衛青も霍去病も最初は縁故採用だったが、歴史に残る功績を挙げている。霍去病の異母弟である霍光(?〜前68年)も、衛子夫の七光で政治家として抜擢されて大成し、武帝の篤い信頼を受けただけでなく、その後の第8代・昭帝と第9代・宣帝の時代まで漢帝国の政治を支えることとなる。

彼女が産んだ武帝の長男で皇太子の劉拠は、学問を好み、人徳もあり、次期皇帝として周囲の期待を集めた。

衛皇后の美貌も加齢には勝てない。武帝の後宮には、美女が次々と入った。寵愛は他の側室に移ったものの、皇后としての彼女の地位は安泰だった。貧しい庶民に生まれ、コーラス・ガールから皇后となり、一門は栄達、息子も優秀。シンデレラも顔負けの強運だ。しかし、それがいつまで続くかは未知数だった。

加藤 徹 明治大学法学部教授

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かとう・とおる / Toru Kato

1963(昭和38)年、東京都に生まれる。明治大学法学部教授、日本京劇振興協会非常勤理事、日本中国語検定協会理事。専攻は中国文化。東京大学文学部中国語中国文学科卒業。同大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。90〜91年、中国政府奨学金高級進修生として北京大学中文系に留学。広島大学総合科学部助教授等を経て、現職。『京劇 「政治の国」の俳優群像』(中公叢書)で第24回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞。他書に『西太后 大清帝国最後の光芒』(中公新書)、『漢文力』(中公文庫)などがある。

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