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漢の武帝に愛された皇后は「100人から選ばれた幼女」と「歌手から大出世したシンデレラガール」だった…不妊治療に90億円、本気すぎる妊活も

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  • 加藤 徹 明治大学法学部教授
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さて、陳氏の母は館陶長公主(かんとう ちょうこうしゅ)、祖母は竇太后(とう たいこう)である。皇族どうしの近親婚であり、実際、陳氏はプライドが高い女性だった。

武帝と陳皇后のなれそめのエピソードは、中国人のあいだでは「金屋蔵嬌」という四字熟語になっている。

宮女100人から“お気に入り”の幼女を見つけ…

劉徹はわずか4歳で膠東王になった。彼がまだ数歳の幼子だったころ、伯母にあたる館陶長公主は、劉徹をひざの上に乗せて聞いた。

「女の子が欲しい?」「うん、欲しい」「じゃ、どの子がいい?」

伯母は左右にひかえる後宮の宮女100人あまりを、次々と指さした。劉徹は「いらない」と答えた。最後に伯母は、自分の娘で、劉徹のいとこである幼女を指した。

「阿嬌(あきょう。嬌ちゃん)は? すてき?」「……うふふ、ステキ。もしキョウちゃんをボクの奥さんにできたら、りっぱなたてものを作って大事にする(もし阿嬌を得て婦となさば、まさに金屋を作りてこれを貯わえんかな)」。

伯母である館陶長公主はとても喜び、縁組みを成立させた、という。

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