「手柄なんてくれてやれ」。執着しない人ほど「ビジネスで成功」するワケとは――大愚和尚が説く人生を好転させる"離れる力"の磨き方
私自身も起業家ですから、日ごろから「経験がすべて」だと考えています。「ほかの人の実績にうまくのっかって、その上にあぐらをかいた」ところで、なんの意味もありません。
名にこだわるのは、実力がないからです。本当に実力があれば、「名前なんかくれてやる」という感覚になります。
勝負に負けて、実力で勝った達人たち
「暴れん坊将軍」こと徳川8代将軍吉宗にこんなエピソードがあります。
吉宗は剣術・武術に長けた将軍でしたが、江戸時代は戦がなく、力を実戦で発揮する機会はありませんでした。
それで自分の実力をたしかめたくなったのでしょう。あるとき、「弓の名手」と評判の達人を呼んで、自分と勝負をする場を設けました。
その結果は……吉宗の勝ち。3本すべてを的に命中させました。一方、達人は全部的から外してしまったのです。
さて、その結果だけ見れば「達人の負け」ですが、なんと達人の外れた矢は、3本ともまったくの狂いもなく同じ位置に穿たれていたのです。
「自分が勝って、将軍に恥をかかせるわけにはいかぬ。しかし自分には、名手としての矜持がある。相手が将軍とはいえ、実力で負けたのでは名手の名折れだ」という思いで、「勝負に負けて、実力で勝つ」ことをやってのけたのでしょう。
吉宗もさすがというべきか、達人のこの気持ちはお見通しだったようです。
これは、武道家の間では有名な話で、実力者とはこうあるべきと、うならされます。
こういう話を聞くと、誰かに手柄を持っていかれても、どうということはないと思えませんか? 怒りから離れて「本当の実力を養うことが何より大切だ。小さな手柄なんて人にくれてやろう」と思えばいいのです。
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