地頭がいいのに5浪した彼の自戒 「帰国子女→名門校中退→高2で大検取得」もなかなか突破できなかった医学部の壁

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「オーストラリアに行ってから半年間は日本人学校、そこから1年半は現地の学校に通ったおかげで英語が得意になりました。それがのちの受験で少し助けになりましたね」

医学部選んだのは「学校を辞めるため」

母親が台湾出身の男性と再婚したことで、中1〜中3までは台湾の日本人学校に通い、帰国子女枠の入試を受験し、早稲田大学本庄高等学院に入学します。

順風満帆の人生のように思えますが、山尾さんは2年生のときに学校を辞めてしまいます。

「もともと再婚した両親は私に医学部に行ってもらいたいと思っていて、大学の付属校には行ってほしくないという感じでした。両親に反発して早稲田本庄に入ったはいいものの、埼玉の外れのほうにある男子校だったために遊べなくて、学校生活があまり面白くなかったんですね。そこで学校を辞めようと思ったのですが、両親に説明するために辞める正当な理由がほしくて『医学部に行きたいから辞める』と言おうと考えたんです」

もともと小さいときからなりたいものや将来の夢はなく、学校を辞めるために初めて医学部を目指すことを決めた高校2年生の山尾さん。しかし、高校2年生の夏に大学検定を取得してからは、まったく勉強しなかったそうです。

「中学時代にレベルが高い日本人学校で勉強したら成績が上がり、早稲田本庄に入れてしまったことで、自分は頭がいいと思ってしまったんです。『勉強しなくてもなんとかなるんじゃね?』と調子に乗って勉強せずに高校3年生の年になって、そのまま受験を迎えてしまいました。早稲田に入れたのは大きな成功体験でしたが、それで受験をなめてしまったんです」

現役の年は5月ごろから駿台四谷校に入ったものの、毎日野球中継を見たり、『実況パワフルプロ野球』をやる生活を送り勉強が後回しになってしまった山尾さん。

模試を1回も受験せず、センター試験も受験しなかったこの年は、受験校も覚えていないそうです。

「浪人したら頑張ればいいやと思っていました。医学部は浪人するものだし、『2浪くらいすれば受かるんじゃね』という甘い考えでそのまま浪人に突入しちゃった感じです」

こうして両国予備校の寮生として浪人生活を開始した山尾さん。浪人した理由をお聞きすると「浪人したら身分が変わって真面目に勉強できるかなと思っていた」と答えてくれました。

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