奈良「龍神の里」の小さな宿が「割と人気」の理由。子ども時代「すごく嫌だった」実家の民宿、2代目が廃業寸前で引き継ぎ再生させるまで

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室生寺
五重塔(写真:筆者撮影)

厳しさを増す宿の経営。だが、この状況に“変化の種”をまいたのが、2代目オーナーの山本さんだった。両親から民宿を引き継ぎ、活気を失いかけていた観光地・室生に新たな活力を与えた人である。山本さんはどのような道のりを歩んできたのだろうか――。

「家は民宿」、少年時代の複雑な思い

民宿むろうは1979年、山本さんが10歳の時にスタートした。

当時の室生は、車道のカーブごとにガードマンが立って交通整理をしなければならないほどにぎわいを見せていた。ただ、多くの観光客が来るにもかかわらず、里には旅館が4軒ほど。気軽に泊まれる民宿は一つもなかった。

それを気に病んだ山本さんの父・良治さんは、近所の人たちに「誰か、民宿を始めないか」と声をかけ始める。

そこに住民ら6人ほどが手を挙げた。だが、設備上の問題で断念する人が相次ぎ、最終的に残ったのは良治さんの家だけだった。こうして、母・冨美恵さんが代表となり、室生で初めての民宿が誕生した。

両親が民宿を営み始めた時のことを山本さんは、「すごく嫌でしたよ」と振り返る。

自分たちが住んでいるところに、見知らぬ人が上がってくる日常。テレビも自由に見られず、お風呂も食事も後回し。友人たちは日曜日には家族で出かけるが、それも行けない……。「どうして僕だけ!」という感情がわいた。

父は役場に勤めていて忙しく、民宿は主に母と祖母で切り盛りしていた。予約の重複などのトラブルもあり、苦労している家族の姿を見て、あまり良い商売とは思えなかったという。

飛び込みで来る客が多かったため、部屋がすし詰め状態になることもあった。民宿の客の反応に、居心地の悪い思いをすることも。カップル客が来て、彼氏が彼女に「ごめんね」と言っている場面に遭遇したのだ。

「『普通の家やん』っていうお客さんの反応が、子どもながらに恥ずかしくてね。畑仕事で使った長靴が土間に置いてあるような生活感が見える宿ですから、やっぱりお客さんは嫌なんやろうなって」

ただ、来た時の反応とは裏腹に、客たちは宿泊後、満足そうに笑顔で帰っていった。山本さんは、それが不思議でならなかったという。

その理由の一つに、母と祖母が作る料理があった。夕食と朝食に並ぶ地元の山菜を使った優しい料理、そしてホスピタリティあふれる冨美恵さんの人柄。

客の中には「おばちゃん、また来るよ」と、来年の予約をする人もいた。山本さんの思いとはよそに、民宿の経営は軌道に乗っていった。

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