「2浪北大→新聞記者→作家」彼の驚きの勉強戦略 作家・増田俊也さんの今に生きる受験の日々

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増田さんは1965年、愛知県の春日井市に生まれました。名古屋市に隣接するベッドタウンです。

小学校6年生の終わりから中学校1年生にかけて、ひたすら家の近くでナマズとウナギを取っていた思い出があるそうです。

「僕はもともと動物が好きで、子どもの頃から様々な野生動物を追っかけて捕まえたり、川魚や野鳥なんかを一日中観察してノートを作ったりしてました。ベッドタウンというのはどこも元々は農村地帯ですから自然が豊富。僕が小学校6年生当時まではそのあたりのドブ川にまで大量の魚類や水生昆虫がうようよいて、水辺の哺乳類や鳥類も豊富でした。

でもそのあと数年かけて農薬や護岸工事で生物たちが消えていく。いわゆる『沈黙の春』(レイチェル・カーソン)がやってくるんです。その過渡期、中学1年生のころに僕はナマズとウナギに凝った時期がありました。見た目がそもそも面白いし、生態も当時はよくわかってなかったんですよ。こいつらは川の流れの中に落ちている土管とか塩ビ管、あるいは護岸の石のあいだに隠れていることが多い。それを捕まえて自分の部屋で飼いはじめたんです。

水槽を10個くらい置いてそこに3匹ずつくらい、全部で30匹くらい飼育して毎日スケッチして、餌の管理をして、飼育ノートをつけて。水槽にはそれぞれエアポンプがあってブクブク泡が出てるから夜はうるさくてしかたない(笑)。しかもあいつら夜になると暴れて水槽の外に飛び出すんですよ。その対策をしたり、頭のなかはナマズとウナギでいっぱいになっていた」

勉強はしなかったが、読書量がすごかった

このように子ども時代から生き物が好きだったことが、のちに北大水産学部を受験するきっかけになりました。

濱井正吾 浪人 増田俊也
北海道大学のキャンパスは冬の間は深い雪に覆われる。写真は農学部の建物(写真:『七帝柔道記』に2期上の先輩として登場する松浦英幸農学部教授提供)

公立小学校時代は、勉強はまったくしていなかったものの、読書量が学校でいちばん多く、自宅でも図鑑ばかりめくっていたため、成績は上々でした。

しかし中学校に進学するとみんな血眼になって定期試験の勉強を始めて、席次もつくので、急に勉強を始めた友人たちを見て「変なやつらだな」と思っていたそうです。

増田さん自身は、勉強したらできるのはあたりまえだと思う一方で、小学校時代と同じくまったく勉強はしませんでした。ところが読書量の蓄積で、最初のテストでは学年265人中30番を取ることができました。

その後もまったく勉強せず、所属していた野球部の練習もさぼりはじめて、友達とナマズやウナギを捕まえることに熱中していたため、年明けごろには200番以下になってしまいます。

「当時から興味があることを追究していく性格だった」と増田さんは当時を振り返ります。

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