「毎日が退屈」現代人に僧侶が勧める考え方のコツ 「ありがたい」の回数が"人生の質"を決める

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そもそも栄養が足りていませんから、皆決まって1カ月ほどで脚気や栄養失調をきたします。それでも、3カ月、半年と修行を続けるうちに症状が収まり、極端な空腹を感じないようになるのですから、人間の身体とはよくできたものです。その頃には肌つやもよくなり、白く透きとおった僧侶らしい風貌になっています。

そして気づくと、世界を見る目も変わっているのです。食べられることのありがたさ、眠れることのありがたさ、足が伸ばせることのありがたさを、味わい尽くしたからでしょう。

今まで当たり前に思っていたことが、とてつもなく有り難いことなのだと、心の底から思うようになっています。

そんな極限の修行生活を多くの人におすすめできるわけがありません。しかし、幸せに生きるヒントの1つが、ここには隠れていると思うのです。

3度の食事できることがありがたい。毎日仕事ができることがありがたい。家族や友人に囲まれていることがありがたい。今ここで生きていられることがありがたい。

そう思えたなら、人生から不平不満というものがずいぶん少なくなるでしょう。

しかし、「感謝しろ、有り難いと思え」と人に説教をされて、その通りに感謝できるかという問題もあります。たいていの場合、そんな言葉を聞いても煩いだけ、鬱陶しいだけで終わるでしょう。

失われる前に感謝したい

大切なのは、あなた自身の納得です。そのためには、あなた自身の目で、有り難さをみつけなくてはなりません。

例えば「感謝日記」をつけるのはどうでしょう。1日のいいこと・悪いことをノートなどに書き出し「今日も一日、無事に過ごせました。ありがとうございました」で終える。

これだけのことですが、自分は「生かされている」と実感でき、心地のいい時間を過ごすことができます。

私はといえば、「お仏壇の前で感謝の言葉を述べてから就寝する」という習慣を続けています。

寺の住職の生活空間である庫裏にある仏壇にお参りをしながら1日を振り返るのですが、やはり忘れてはいけないのは、感謝の言葉で1日を締めることです。

人は確かに失って初めて有り難さを知るのかもしれません。しかし、失われてからでは取り返しがつかない

できることなら、失われる前に感謝したい。有り難さを探して生きることです。

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