紫式部「恥さらしと言われた宮仕え」決断した背景 道長はどう考えていた?紫式部の彰子への思い
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は恥とされていた「宮仕え」を、紫式部がなぜ決断したのかについて解説します。
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「宮仕えは恥さらし」とされていた平安時代
平安時代には、宮中で女官として宮仕えすることは、軽薄で恥さらしなことであると思われていました。紫式部や清少納言など、実際に宮仕えした女性たちもそう感じていました。
では、なぜ紫式部は、藤原道長の娘で、一条天皇の中宮でもある彰子に仕えることにしたのでしょうか?
紫式部が「これがその理由です」と書き残しているわけではないため、想像するしかありませんが、1つには、道長が紫式部の出仕を促したのではないかと推測されています。紫式部が生まれた家と、道長の家には、大きな縁がありました。
まず、紫式部の父・藤原為時は、道長の尽力により、越前守というポストに就くことができました。そして、為時の従姉は、道長の家司(貴族の家政を司る職員)を務めた源高雅の母でした。
寛弘6年(1009)に高雅は出家していますが、道長は「年来、他心なく従ってくれた者だ。この度の出家は、悲しいことである」と信頼する家司の出家を惜しんでいます。
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