道長は傍若無人?紫式部に見せた意外すぎる素顔 宮仕えを始めた式部、宮中での心に残る逸話
身を隠した紫式部に道長が取った行動
寛弘2年(1005年)頃、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)に女房(女官)として仕えた紫式部。彼女が記した日記を読むと、その宮仕えがどのようなものだったのかを知ることができます。
『紫式部日記』は、寛弘5年(1008年)秋、懐妊した彰子が、父・道長の土御門殿(邸)に滞在しているところから始まります。
道長の邸は、色づいた木々と池があり、風情があったようです。その邸では彰子の安産を願い、夜明け前から、祈祷する僧侶たちの声が聞こえてきます。紫式部の耳には「ものものしく、厳かに」感じられたとのこと。
夜が明ける頃に女房たちが参上してきた一方で、紫式部は、渡殿(渡り廊下)の戸口の局から外を眺めていました。
霧がうっすらとかかった、早朝。そのような時に、紫式部は殿(藤原道長)が、庭を歩いているのを見つけます。道長は供の者を呼び、遣水(庭園内に水を導き入れて流れるようにしたもの)のゴミを払わせました。それが終わると、道長は透渡殿の南側に爛漫と咲いていた女郎花(おみなえし)を一枝折り取り、そっと、紫式部が身を隠している几帳の上から差し出します。
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