道長は傍若無人?紫式部に見せた意外すぎる素顔 宮仕えを始めた式部、宮中での心に残る逸話

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さて、道長との逸話の次には、道長の嫡男・藤原頼通が登場します。静かな夕暮れ時。紫式部は、宰相の君と2人で話していました。そこに、殿(道長)の三位の君(頼通)が、簾を上げて、入ってくるのです。

頼通の母は、中宮・彰子と同じ源倫子。頼通はこの時、17歳でした。簾を上げて入ってきた頼通は、局の上り口に腰をかけます。

紫式部によると、頼通は「年の割にとても大人びて、深みのある様子」で「女性は、やはり気立てがいちばん。しかし、性格がいいということは滅多にない」などと、恋の話をしっとりと語っていたようです。

子どもっぽいとバカにされた頼通だったが…

頼通のことを、人々は「子どもっぽい」と陰でバカにすることもあったようですが、紫式部は頼通の言動を見て「そのような考えこそ誤りだ」と感じていたようです。

もう少し話したら打ち解けそうな頃合いで、頼通は「多かる野辺に」(美女が大勢のところに長居したら、好色だと噂されてしまいましょう)と口ずさむと、さっと席を立ちました。紫式部はその姿を見て「物語で褒めそやされている男君のようだ」と頼通への好感を抱きました。

若き頼通の雅さが際立つ逸話です。紫式部は当初(宮仕えは気が進まぬ……)と思っていたことがありましたが、道長や頼通との交流を通して(ちょっといいかもしれない)と感じ始めていたかもしれません。

ちなみに、頼通が簾を上げて部屋に入ってくるときに、紫式部が語り合っていた宰相の君とは、藤原豊子のこと。道長の異母兄・藤原道綱の娘です。

宰相の君は、紫式部と同じく中宮・彰子に仕えており、これから産まれる彰子の子ども(敦成親王、後の後一条天皇)の乳母となる人物。宰相の君は上臈女房と呼ばれる、身分の高い女官でした。女房の身分は、上臈・中臈・下臈に分かれており、紫式部は中臈女房でした。宰相の君は、式部にとって、上司というべき存在だったとも言えるのでしょうか。

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