道長は傍若無人?紫式部に見せた意外すぎる素顔 宮仕えを始めた式部、宮中での心に残る逸話
道長は、庭を歩く自分を紫式部が見ていることを感知していたのかもしれません。そして(ちょっと、彼女を試してやろう)との気持ちで、一枝の女郎花を紫式部に差し出し、こう問いかけるのです。
「これ、遅くてはわろからむ」(この花はどうだ。返事が遅くてはよくないだろう)と。
女郎花を見て、お前(紫式部)は何を感じる、どう歌に詠む、道長は紫式部に咄嗟に課題を出したのです。紫式部の瞬発力と才知を試したというべきでしょうか。
紫式部は、すぐさま、部屋の奥にある硯のもとに走り寄ります。「女郎花盛りの色を見るからに露の分きける身こそ知らるれ」。このときに紫式部が詠んだ歌です。
「今が盛りの女郎花。秋の露が、花をさらに美しくしている。それを見ると、露の恵みを受けられず、美しくはなれなかった我が身を恥ずかしく思います」との意味です。
紫式部の作歌を知った道長は「素早い」と微笑むと、硯を局の外へ持ってくるよう命じます。そして、自らも歌を詠みました。
「白露は分きても置かじ女郎花 心からにや色の染むらむ」。これが、道長の紫式部への返歌です。
「白露はどこにでも降りる。その恵みに分け隔てなどはない。女郎花は、自分の美しくあろうとする心により染まっているのだ」との意味です。
心がけ次第では、紫式部もなかなかの美しさである、ということを道長は言いたかったのでしょうか。女郎花を几帳の上から差し出した道長の姿を紫式部は「とても立派だ」と称賛しています。
権力者のイメージとは異なる道長の姿
紫式部は宮仕えする前から、多くの歌を詠んできたため、その経験が今回役に立ったのだと言えましょう。紫式部の歌に素早く返歌する道長も、なかなかのものです。
道長といえば「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」(この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるものがないように、すべてが満足にそろっている)の歌が歴史の教科書にも載り、傍若無人な権力者のイメージを持つ人もいるかもしれません。
しかし紫式部の日記に記された道長の姿からは、彼の遊び心と機知が見て取れます。
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