『紫式部日記』は誰に向けて書かれたものか?
歴史上の人物について調べるときに、本人が残した日記があれば、貴重な史料となる。しかし、どれだけ詳細な日記でもその人の最期については知ることはできない。
『源氏物語』の作者・紫式部は、生年については諸説あり、天禄元(970)年とする説もあれば、天延元(973)年とする説もある。本名もわかっていない。
没年についてもはっきりしておらず、最短で長和3(1014)年、最長で長元4(1031)年とされている。説によってかなりの幅があるが、40代半ばから60代を迎える頃までに亡くなったようだ。
わからないことだらけの式部だが、筆マメな藤原実資が、長和2(1013)年5月25日の日記『小右記』に「今朝帰り来たりて云わく、去んぬる夜、女房に相逢う」と記し、この女房のことを「越後守為時の娘」と説明している。のちに「紫式部」と呼ばれる女性が実存していたことは確からしい。


















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