
道長から頼通へのスムーズなバトンタッチ
孫の敦成親王が後一条天皇として即位すると、藤原道長は念願の摂政の座に就くが、1年あまりで辞職。寛仁元(1017)年に道長の嫡男・頼通がわずか26歳と史上最年少で、摂政の座を父から引き継ぐことになった。
道長から頼通へのスムーズな承継を鑑みるに、改めて思い返されるのが、父の藤原道隆から関白の座を引き継げなかった、藤原伊周のことである。よく考えれば、道長にとって8歳年下の甥にあたる伊周が、あれだけ自分をアピールしたのも、もっともなことである。
伊周は、父の道隆が病に伏せて関白を辞職すると、その翌日に自身は内大臣でありながら「関白と同じ警護をつけてほしい」と一条天皇に直訴。実資に「前例がないことではないか。稀有だと言うべきことだ」と呆れられている。それでも父の後継者になろうと、伊周の暴走は止まらない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら