気まずい事件で「頼通が後継者だ」と浸透する
藤原頼通は正暦3(992)年に、藤原道長の長男として生まれた。道長が当時の左大臣・源雅信の娘である2歳年上の倫子と永延元(987)年に結婚し、6年目に授かった嫡男である。
頼通が生まれた時期は、道長の兄・道隆が父の兼家の後継者として、関白・摂政となった頃である。道隆が嫡男の伊周を露骨に引き上げるなかで、道長は頼通という跡継ぎを得たことになる。
道長は倫子と結婚してすぐに、故左大臣・源高明の娘である明子も妻とした。倫子とは2男4女、明子とは4男2女をもうけている。
そのなかでも、道長の後継者はやはり頼通なのだと、周囲が強く実感した出来事があった。それは長保3(1001)年、道長の姉で一条天皇の母である藤原詮子の「四十の算賀」が、道長の土御門邸で行われたときのことである。


















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