
三条天皇と道長がうまくいかなかったワケ
一条天皇とは友好的な関係を築けていた藤原道長だったが、三条天皇とはそりが合わなかったらしい。
それも無理はない。一条天皇は数え年にしてたったの7歳で即位。自分が政治を引っ張っていくことができる年齢ではない。
そんな一条天皇を摂政として支えたのが、道長の父・兼家である。また、身の回りのことは、生母で兼家の次女、詮子が取りしきった。周囲に十分なバックアップを受けることを前提としたのが、一条天皇の治世だった。
そこから一条天皇が成長していくにつれて、兼家から長男の道隆、そして3男の道兼へと関白の座が引き継がれたのちに、道長のもとにその座が転がり込んできた。いわば、一条天皇と道長はともにステップアップしていき、将来的には2人で政権を運営していくことになった。
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