「三条天皇に退位迫る」道長の溢れ出す大きな欲望 人事を巡ってもデッドヒートを繰り広げる

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光る君へ 大河ドラマ 藤原道長 三条天皇
三条天皇ゆかりの広隆寺(写真: でじたるらぶ / PIXTA)
NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第45回は三条天皇と道長の激しい対立に関して解説する。
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三条天皇と道長がうまくいかなかったワケ

一条天皇とは友好的な関係を築けていた藤原道長だったが、三条天皇とはそりが合わなかったらしい。

それも無理はない。一条天皇は数え年にしてたったの7歳で即位。自分が政治を引っ張っていくことができる年齢ではない。

そんな一条天皇を摂政として支えたのが、道長の父・兼家である。また、身の回りのことは、生母で兼家の次女、詮子が取りしきった。周囲に十分なバックアップを受けることを前提としたのが、一条天皇の治世だった。

そこから一条天皇が成長していくにつれて、兼家から長男の道隆、そして3男の道兼へと関白の座が引き継がれたのちに、道長のもとにその座が転がり込んできた。いわば、一条天皇と道長はともにステップアップしていき、将来的には2人で政権を運営していくことになった。

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