「三条天皇に退位迫る」道長の溢れ出す大きな欲望 人事を巡ってもデッドヒートを繰り広げる

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その後、道長は三条天皇に退位を迫るようになることを思えば、もし皇子が生まれていたならば、自身の運命は違ったと三条天皇は考えたかもしれない。

だが、そうなれば、愛する娍子との間に生まれた敦明親王たちは、たちまち軽視されることになっただろう。それは、かつて一条天皇と定子との間に生まれた敦康親王の運命を見てもわかる。

どう転んでも追い詰められてしまう、三条天皇。道長の健康悪化くらいしか打開する道はなさそうだが、自身が眼病を患ってしまう。

道長は眼病を患う身では政務は難しいとし、また内裏で度重なる火災が起きていることからも「天道が天皇を見限ったのだ」として、公然と退位を迫っている。

三条天皇に望んだのは退位だけではなかった

それからというもの、道長は三条天皇に事があるごとに退位を促すようになる。長和4(1015)年10月2日には、実資が養子の資平から「三条天皇が言うには、この何日か道長からしきりに譲位を迫られているとのことです」と聞く。

だが、道長の要望はそれだけにとどまらなかった。資平が聞いた話によると、道長は三条天皇にこんなことも言ったのだという。

「当時の宮たちは東宮に立てるわけにはいきません。その器ではないからです」

「当時」とは三条天皇、「宮たち」とはその息子たちのことだ。三条天皇が娍子との間にもうけた敦明親王・敦儀親王・敦平親王・師明親王では、皇太子は務まらないのだという。では、誰ならばよいのか。道長は続ける。

「故院の三宮は、東宮にふさわしい資質があります」

「故院」とは亡き一条天皇のことで、「三宮」とは一条天皇と彰子との間に生まれた、第3皇子・敦良親王のことである。

自分の孫である敦成親王に天皇の座を譲位して、さらにやはり自分の孫である敦良親王を皇太子にしろ、と三条天皇自身に告げたのだという。

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