「道長vs三条天皇」徐々に生じた"2人の大きな溝" 「一帝二后」を自ら主導した三条天皇の策略
一条天皇の退位後をいちはやく見据える
占いに現れた言葉を示した文書のことを「占文」(うらぶみ)という。
寛弘8(1011)年、一条天皇についての占文を観た藤原道長は、衝撃を受ける。崩御の卦が出ており、一条天皇がまもなく命を落とすかもしれないというのだ。
同年5月27日の『権記』によると、道長は一条天皇の死を覚悟して、権僧正の慶円と一緒に泣いてしまったという。ただ、その場所が清涼殿二間だったため、たまたま隣の部屋にいた一条天皇が、その様子を御几帳の帷の継ぎ目から見てしまった。
自分の病状がただごとではないと知ってしまった一条天皇。それ以来、病はより重くなり、占文どおりに崩御することになる。


















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