「道長vs三条天皇」徐々に生じた"2人の大きな溝" 「一帝二后」を自ら主導した三条天皇の策略

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三条天皇とのファーストラウンドを制したかに見えた道長だったが、戦いはここからだった。

三条天皇は1012(長和元)年2月14日に道長の次女・妍子を中宮としたが、3月に入ると、長年連れ添った妻・娍子も皇后としたのである。

「一帝二后」を自ら主導した三条天皇

かつて道長は、一条天皇には定子という中宮がいたにもかかわらず、娘の彰子を中宮とさせて「一帝二后」を実現させた。三条天皇はその逆で、道長の娘を中宮としたあとに、娍子を皇后とすることで、自分から「一帝二后」の状態に持っていったのである。

三条天皇からすれば、一条天皇の4歳年上の従兄弟でありながら、長く皇太子に甘んじていたがゆえに、うっぷんもたまっていたのだろう。即位時には幼帝で、周囲の言うことを聞くしかなかった一条天皇とは、生い立ちがまるで違った。36歳でようやく自分の番がきた三条天皇の意気込みが、道長の反発をも恐れぬ言動につながったようだ。

「土葬にしてほしい」という一条天皇の大切な願いは忘れてしまった道長だったが、三条天皇と対立するたびに、やりやすかった一条天皇の治世が自然と思い出されたのではないだろうか。

2人は対立を深めていき、やがて道長は三条天皇を退位へと追い込むことになる。

【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
真山知幸『偉人名
言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸 著述家

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まやま ともゆき / Tomoyuki Mayama

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』シリーズ、『偉人名言迷言事典』など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は 『偉人メシ伝』 『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』 『日本史の13人の怖いお母さん』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)。「東洋経済オンラインアワード2021」でニューウェーブ賞を受賞。
X: https://twitter.com/mayama3
公式ブログ: https://note.com/mayama3/
 

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