このとき、道長は数え年にして50歳、三条天皇は40歳。もはや欲望を隠さない叔父の存在は、三条天皇にとってどれだけ脅威だったことだろうか。
三条天皇が譲位、皇太子にした人物
長和5(1016)年正月29日、三条天皇は譲位し、敦成が後一条天皇として即位。皇太子にしたのは、道長の孫・敦良親王……ではなく、自身の第1皇子・敦明親王であった。
三条天皇は寛仁元(1017)年5月9日に崩御。最後に意地を見せた格好になったが、道長の圧力によって敦明親王は皇太子を辞退。結局は、道長の思惑通りに、敦良親王が皇太子に立てられている。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
倉本一宏『三条天皇―心にもあらでうき世に長らへば』 (ミネルヴァ日本評伝選)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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