人事を決めるのに頼通が気を遣った相手
「去る夕方の官職任命の儀式は、散楽のようでした」
散楽とは、こっけいな動作や曲芸など多種多様な芸の総称である。官職任命の儀式が持つ厳かさとは対極にあるはずだが、参加者からそんな声が漏れたのも無理はない。
寛仁元(1017)年3月、藤原頼通は数え年で26歳と史上最年少で、父の藤原道長から摂政の座を引き継いだものの、政務において何かと父を頼っていた。
官職を任命する「除目の儀」が8月に行われると、宇治にいる道長に頼通が何度も使者を出してバタバタしたという。「散楽のようだ」と呆れられるはずだ。
それだけに、道長が万寿4年12月4日(1028年1月3日) に亡くなると「これで頼通がいかんなくリーダーシップを発揮する環境が整った」と、周囲は考えたことだろう。しかも、この時点で頼通が摂政となり10年以上の月日が経っている。経験もそれなりに積めたはずだ。


















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