NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第35回は伊周の失態と、一条天皇退位に向けた道長のエピソードを紹介する。
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伊周の傲慢さは「小心」の裏返し
状況が悪くなると、焦燥感からとんでもないことをやらかしてしまう。どうもそんな傾向がある人物だったらしい。藤原道長にとっては兄の息子、つまり甥にあたる藤原伊周のことだ。
伊周は摂政・関白となった父・道隆によって引き上げられて、一時期は道長を抜くほど出世したが、父が病死すると、道長が内覧・右大臣へと昇格。出世で道長に抜き返されたのは、傲慢な伊周への反発が宮中で高まっていたことも要因の1つだったようだ。伊周本人にその自覚があったのかどうかは怪しい。
この段階ではまだ挽回できたのに、伊周は花山院に矢を射かけるという前代未聞の事件を起こし(「長徳の変」)、居合わせた弟の隆家とともに、処分を受ける。
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