僧侶や修験者がかき集められた
「人事を尽くして天命を待つ」とは、よく言ったものである。やるべきことをすべてやったならば、あとは運命に任せるほかはない。平安時代の貴族社会で、最高権力者となった藤原道長も、例外ではなかった。
道長は、自分の娘を3人も天皇の后にするという前代未聞のことを成し遂げている。
一条天皇のもとには長女の彰子を、三条天皇のもとには次女の妍子を、さらに後一条天皇には三女の威子を后として送り込み、「一家立三后(いっかりつさんごう)」と驚かれた。
自分が亡くなったあとも末永く一族が繁栄するために、あらゆる手を打った道長だったが、どれだけ娘を天皇に嫁がせたとしても、子を成さなければ、影響力を持つことはできない。こればかりは授かりものであり、道長としても祈るしかなかったことだろう。 実際に道長は寛弘4(1007)年8月に金峯山詣(きんぶせんもうで)を行い、子守三所に詣でている。


















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