道長も困惑した「一条天皇」暴走する"皇后への愛" 花山院の藤原忯子への寵愛も格別なものだった

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光る君へ 大河ドラマ 藤原道長 一条天皇
平安神宮(写真: soulman / PIXTA)
NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第22回は、宮中もざわついた一条天皇のエピソードを紹介する。
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定子の出産に不穏なムードが漂う

娘を天皇のもとに嫁がせ、子どもを生ませて、その子を将来的に天皇にさせる――。そうして天皇の外戚、つまり、母方の親戚になることで、藤原家は繁栄を手にしてきた。

大河ドラマ「光る君へ」では、名バイブレイヤーの段田安則が、藤原道長の父・兼家を演じて、存在感を発揮し話題になった。兼家はまさに娘・詮子を天皇に嫁がせて、御子が生まれると、ゆくゆくは天皇に即位させる……という方法で摂政・関白となっている。

さかのぼれば、大宝律令の制定や『日本書紀』の編纂に携わった藤原不比等が、娘を天皇の后とし、藤原家繁栄の基礎を固めた。不比等の娘・宮子が第42代の文武天皇に嫁いだほか、さらに、その異母妹の光明子が第45代の聖武天皇の后になっている。いわば藤原家伝統の手法である。

道長にとっても、姉の詮子が円融天皇に入内して御子を産み、その子が一条天皇として即位し、父の兼家が摂政・関白にならなければ、栄華を誇ることはなかっただろう。

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