越前守に就いた式部の父・為時
いつの時代も人事異動には不満がつきものだ。
紫式部の父、藤原為時は長徳2(996)年に、淡路守に任じられると、「苦学寒夜紅涙霑襟 除目後朝蒼天在眼」という漢詩を一条天皇に送って、無念さを吐露したという。意味としては、次のようなものだ。
「寒い夜の苦学の甲斐もなく希望した地位につけずに、血の涙にむせいでいます」(苦学の寒夜、紅涙が襟をうるおす 除目の後朝、蒼天眼に在り)
当時、国司が赴任する国は大国、上国、中国、下国の4つにランク分けされていた。淡路国は下国だったため、為時がそんな漢詩を官職を求める上申書に添えたところ、まだ10代の一条天皇の胸を打ったらしい。為時のやるせなさを想像して、一条天皇は食事も喉を通らず、寝所に入って泣いた……。
いささかナイーブすぎる気がするが、その結果、為時は淡路守ではなく、越前守に就くことになったという。
越前は大国にあたるため、為時も漢詩を送った甲斐があったというものだが、『今昔物語集』などにあるこの話は、いささかできすぎている。


















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