だが、国が十分にまとまっていない時期だからこその勢いもある。宋では、商人たちが勃興し、商業の発展によって生産力を増大させていく。
勢い盛んな宋の商人たち
道長が政権を握るや否や、商人の朱仁聡が林庭幹・羌世昌(周世昌)らとともに、船に乗って若狭国に上陸。70人あまりの宋人が、越前へと移送されたのは、まさにそんな勢いのなかで起きた出来事だった。
越前守に赴任した為時は、宋の商人たちのパワーに圧倒されたのではないだろうか。
父に同行した紫式部も、環境の変化に戸惑ったようだ。都の暮らしを懐かしみながら、この地で1年余りを過ごすこととなる。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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