とにかく明るい「枕草子」清少納言が悲劇隠した訳 後世に名を残す名作、執筆し始めたきっかけ

✎ 1〜 ✎ 20 ✎ 21 ✎ 22 ✎ 最新
拡大
縮小
光る君へ 大河ドラマ 清少納言
清少納言のゆかりの地である、泉涌寺(写真: 安ちゃん / PIXTA)
NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第20回は、清少納言と定子のエピソードを紹介する。
著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。

清少納言は絶頂期の定子のもとへ

まともに正視することができない……。それほど輝く人と出会うことが、人生にはあるらしい。

『枕草子』を書いた清少納言にとっては、一条天皇が寵愛した藤原定子が、まさにそんな存在だった。几帳の後ろから定子を見て、清少納言はこんな感想を抱いた。

「かかる人こそは、世におはしましけれ」

こうした方が世の中にはいらっしゃるのだなあ……。ただただそう感嘆する清少納言の胸中がよく伝わってくる。

清少納言が定子に仕えたのは、正暦4(993)年。時の権力者となった藤原道隆が娘の定子を一条天皇に入内させて、3年が経った頃のことだ。

その前年の正暦3(992)年、伊周は19歳の若さで、権大納言に任ぜられている。この時点で、8歳年上の叔父・藤原道長と並ぶことになった。さらに、正暦5(994)年には伊周は内大臣にまで上り、権大納言にとどまる道長を抜き去っている。

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
TSMC、NVIDIAの追い風受ける日本企業と国策ラピダスの行方
TSMC、NVIDIAの追い風受ける日本企業と国策ラピダスの行方
【動物研究家】パンク町田に密着し、知られざる一面に迫る
【動物研究家】パンク町田に密着し、知られざる一面に迫る
広告収入減に株主の圧力増大、テレビ局が直面する生存競争
広告収入減に株主の圧力増大、テレビ局が直面する生存競争
現実味が増す「トランプ再選」、政策や外交に起こりうる変化
現実味が増す「トランプ再選」、政策や外交に起こりうる変化
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT