宮中ご意見番「藤原実資」思わず涙した彰子の言葉 道長など時の権力者にも躊躇なく物申した実資

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光る君へ 大河ドラマ 藤原実資 彰子
藤原実資ゆかりの清水寺(写真: ゆうた1127 / PIXTA)
NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第39回は、宮廷社会のご意見番でもある藤原実資の意外な一面を紹介する。
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異様な宮廷社会をつぶさに描写した

平安時代の宮廷社会における「ご意見番」といったところだろうか。NHK大河ドラマ『光る君へ』では、ロバート秋山が演じて話題になっている公卿の藤原実資のことである。

実資といえば、朝廷で起きた出来事を詳細に書き記した日記『小右記』の作者として知られている。21歳から84歳まで63年間にわたり、この日記をつけたというから、マメな性格だったのだろう。

日記では、一条天皇や藤原道長など時の権力者の振る舞いについても「おかしい」と思ったことは、躊躇なく違和感をぶつけている。平安時代の日記は、記録として誰かに読まれることを前提として書かれている。実資の大胆な筆致には、驚かされるばかりだ。

例えば、道長の兄・藤原道隆が父・兼家の跡を継いで、摂政・関白についた頃のことである。このときすでに「中宮」と呼ばれる人物が3人もいたにもかかわらず、道隆は円融上皇の中宮・遵子を皇后にしたうえで、自分の娘・定子を一条天皇の中宮にした。

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