だが、そんな実資が人前をはばからず、涙したことがあった。
長和元(1012)年5月、彰子が亡き一条天皇のために、法華八講を行ったときのことだ。
実資の涙を誘った彰子の言葉
数日かけて営まれる大掛かりな法会だったが、実資は欠かさず参加。彰子はそんな実資に感謝の言葉を伝えた。
「お追従をしない実資が、八講に日々来訪してくれて、大変悦びに思う」
(八講の間の日々の来訪悦び思ふ所。なかんずく本より所々に追従せず。而も日々の来訪、極めて悦び思ふ所)
彰子のメッセージを実資に伝えたのは、取り次ぎ役の紫式部だったようだ。
さらに彰子から「故院の一周忌が終わって、部屋の室礼が喪中から日常に変わったことがしっくりせず、ものさびしい」などの言葉が伝えられると、実資も一条天皇のことを思い出したのだろう。
「落涙、禁じ難し。女房の見る所を憚らず、時々、涙を拭ふ」と自ら記すように、実資はほかの女房たちがいる前で、涙を流したという。
翌年、実資はその慎ましさから彰子のことを「賢后」と日記で評した。長く宮廷社会に身を置いて舌鋒鋭く批評してきた実資だけに、称賛の言葉にも真実味を感じる。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
源顕兼編、伊東玉美訳『古事談』 (ちくま学芸文庫)
桑原博史解説『新潮日本古典集成〈新装版〉 無名草子』 (新潮社)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
倉本一宏『藤原伊周・隆家』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
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