一条天皇の最期「定子と彰子」誰に想いを残したか【再配信】 死ぬ間際に読んだ和歌にある「君」は誰なのか

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光る君へ 大河ドラマ 一条天皇 彰子 定子
京都御苑(写真: farmer / PIXTA)

【12月15日で最終回を迎えるNHKの大河ドラマ「光る君へ」。2024年1月より著述家の真山知幸さんが平安時代にスポットライトを当てて書かれている記事の中でも、とくに人気の高かった記事をお届けします。こちらは2024年9月15日に配信した記事の再配信です。】

NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第36回は一条天皇が最期に詠んだ和歌に残された謎について解説する。
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「定子を愛した一条天皇」を愛した彰子

自分以外の誰かに気持ちがある人に振り向いてもらうのは、簡単なことではない。

藤原道隆の長女・藤原定子と、藤原道長の長女・藤原彰子は「一条天皇の寵愛を受けて、子どもを授かること」を使命として親に送り込まれた……という点では同じである。

2人の大きな違いは、彰子の場合、自分が入内したときには、すでに一条天皇には、最愛の人がほかにいたということだ。

正暦元(990)年、一条天皇は11歳で元服。数日後に道隆の娘で15歳の定子が入内することになる。兼家が出家し、道隆が関白、次いで摂政となったのは、この数か月後のことだ。まさに道隆が絶頂期を迎えるなか、一条天皇と定子は出会い、距離を縮めていく。

そんな一条天皇と定子が出会った年に、道長の娘である彰子はどうしていたか。3歳になり、初めて袴をつける儀式「着袴の儀」が執り行われていた。

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