NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたることになりそうだ。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第25回は、なりふり構わず行動を起こす道長に苦言を呈したある人物のエピソードを紹介する。
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病を理由に3度も辞表を提出した道長
激務によって疲労困憊し、腰痛もひどくて、ほとほと仕事が嫌になってしまった……。
そんな現代のビジネスパーソンでもよくありそうな悩みを、藤原道長も抱えていたようだ。
「道長が急病に悩まされている」と囁かれるようになり、藤原行成は藤原為任とともに、確かめに行っている。すると、民部権大輔である源成信と会い、「腰病に苦しめられています。邪気の行ったものでしょう」と聞かされることになる。
挙句には「出家しようと思う」と道長が言い出したのだから、ただごとではない。藤原行成の記した日記『権記』では、長徳4(998)年3月12日の出来事として、次のように記されている。
「左大臣、重ねて民部権大輔成信朝臣を遣わして上表した」
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