「重ねて」とあるように、苦悩した道長は、3度にわたって辞表を提出することになる。腰痛の悪化を理由にしているが、心身ともに疲れ切っていたのだろう。
道長に去られては困る一条天皇は、「朝廷の重臣で、天下を治めて、自分を補佐してくれるのは、道長のほかにはいない」と慰留。辞表を突き返し続けている。
心身が疲労困憊した理由の1つは、上司の暴走といったところだろうか。内裏を去った中宮・藤原定子のことを、 一条天皇はどうしても忘れられなかった。定子が自分の子どもを生むと7カ月後には、職曹司(しきのぞうし)に呼び寄せている。
定子が内裏を去ったのは、兄の伊周が不祥事をやらかしたために出家したからであって、常識的に考えると、一条天皇とは二度と会えない立場である。
それでも、一条天皇は自身の愛を貫いて、定子と会い続けた結果、第1子で第1皇女となる脩子内親王に続いて、第2子にして第1皇子となる敦康親王、さらに第3子にして第2皇女となる媄子内親王まで誕生することになる。
もっとも一条天皇は大河ドラマのように、定子だけを愛したわけではなく、ほかの女御たちも大切にしたとされている。それでも、懐妊の状況から考えると、定子をことさら寵愛したのは間違いなさそうである。
うるさ型だった藤原実資
一条天皇からすれば、自分の行動の何が問題なのか。よくわかっていなかったのかもしれない。だが、道長としては、宮中の規律が乱れて天皇の権威が失墜し、自身の政権運営に支障をきたすと考えたのだろう。
大河ドラマ『光る君へ』では、一条天皇が定子を呼び寄せようとすると、行成が「実資殿などは反対するでしょうが……」と心配し、道長がこう返答する場面があった。
「実資殿の言葉には力がある。皆が平然と帝を批判するようになれば政はやりにくくなる」
左大臣という地位にある道長が、参議の藤原実資を恐れるのはなんだかおかしいが、確かになかなか気骨のある人物だったようだ。
実際に、出家した定子が宮中に戻って来たことについて、実資は「天下、甘心せず(天下は感心しなかった)」「太(はなは)だ稀有なことなり(とても珍しいことである)」と日記に記し、不快感をあらわにしている。おそらく、そんな本音を隠すことなく、態度にも出す人物だったのだろう。
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