道長が『御堂関白記』に「人々、相寄(あや)しむ」と書いているように場は騒然とした。それでも、いかんせん酒の席だ。みな酩酊しており、この段階ならば何とかできたかもしれない。
だが、伊周が行った「筆パフォーマンス」の内容は、誰も予想しないようなものだった。
伊周が行成から筆を取り上げて暴挙に出た
伊周は次のように、みなの酔いを吹き飛ばすようなことを書いた。
「第二皇子百日の嘉辰、宴を禁省に於いて合ふ。外祖左丞相以下、卿士大夫、座に侍る者済々たり。龍顔を咫尺に望み、鸞觴に酌して献酬す」
意味としては「百日の嘉日に、優れた方々の中に加わって天皇に間近に接し、盃をやりとりする」という他愛もないものだが、冒頭の「第二皇子」が問題だ。敦成親王が一条天皇にとって2人目の皇子であることをわざわざ強調し、第1皇子である敦康親王の存在を訴えているのだ。
さらに「隆周の昭王、穆王暦数長く、わが君また暦数長し」とし、天皇が昭王や穆王のように長く位にある……と書きながら、「隆周」に弟の隆家と、自らの伊周の名を潜ませている。
その後に「本朝の延暦延喜胤子多く我が君また胤子多し」と続けている。これは「桓武、醍醐天皇のように跡継ぎが多い」という意味となり、敦成親王だけではなく皇子女がたくさんいるんだ、ということを、改めてアピールしているのだ。
最後は「康きかな帝道。誰か歓娯せざらんや」としている。意味としては「安康な帝道よ。この御代を歓び娯しまない者があろうか」とお祝いにふさわしい言葉のようだが、この「康」には「敦康親王」の名が込められているという芸の細かさ。
こんなパフォーマンスをしたところで、「そうだ、第1皇子である敦康親王をもっと大切に扱おう!」とみなが思うわけもない。ただただひんしゅく買うだけの行動であるところが、なんとも伊周らしい。
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