リベラルが勝てない要因は「脳の仕組み」にある 人間の脳は加齢とともに「保守化」していく
人は前頭前野でダイエットのメリットを思考します。容姿を良くしたい、健康に生きたい、とにかく目標を達成するクセをつけたいなど、自らのあるべき姿を設定して「ダイエットをするぞ」と決めます。すると、本来人間が持っている「食べたい」という本能、つまりボトムアップからの欲求をそれこそ365日、起きている間中、抑制していなければならなくなります。
そしてダイエットのことばかりに脳のリソースを奪われ、他にやらなければならないことはたくさんあるのに気が回らなくなります。すると次第に面倒になり、あるいはあまりの面白みのなさ、つらさに嫌気が差してダイエットは主たる思考の座から追われ、リバウンドしてしまうというわけです。
リベラル、つまり「理想的な社会を作る」「正しくあるべきだ」という思考の制御は、前頭前野で行われています。ダイエットすべきだ、瘦せている方が美しく健康的だ、という思考と、これまでの(古く誤っているかもしれない)方法は否定すべきだ、社会はより正しく変わるべきだ、という思考は、いずれも現実に対して、ボトムアップの思考を殺し、強制するように行われているものです。
極端な例かもしれませんが、1つの思考実験として以下のような状況を考えてみましょう。自分が尊敬する父親から、次のように教えられて育ってきたとします。父は自分に、「困っている人がいたら必ず助けてあげなさい」と常日頃から説き、そう振る舞ってきました。そして、自分もそれに納得しているとします。
では、実際にお隣さんが「うちは生活が苦しいから、これから毎日食べ物をくれないか」とか、「お宅にはクルマが余分にあるのだから、うちにも使わせてもらえないか」「洗濯機が壊れたから、好きなときにあなたの家で洗濯させてほしい」などと、要求してきたとしたらどうでしょうか。
父の教えに従うのであれば、隣人の要求に従うことが正しい振る舞いだということになります。しかし、本当にその教え通りに生活を続けていたら、最終的にはこの隣人にすべてのリソースを奪われ破産してしまうおそれがあります。場合によっては、生命の危険を感じることすら起こり得るかもしれません。
脳は「賢くなり過ぎない」ようにできている?
これは、決して個人の意思の力といったような問題ではありません。実際は、人間が人間であり続けるため、脳は前頭前野に従い過ぎないように、つまり「賢くなり過ぎない」ように設計されていると考えざるを得ないような作りなのです。
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