理想的に育った「紫の姫君」が、心から傷ついた夜 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・葵⑨

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いったい何があったのか、いつもいっしょにいる二人なので、はた目にはいつから夫婦という関係になったのかわからないのではあるが、男君が先に起きたのに、女君がいっこうに起きてこない朝がある。

「どうなさったのかしら。ご気分がよろしくないのかしら」と女房たちが心配して言い合っていると、光君は東の対に戻ろうとして、硯箱を几帳の中に差し入れていった。近くに女房がいない時に、女君がようやく頭を上げると、枕元に引き結んだ手紙がある。何気なく開いてみると、

あやなくも隔てけるかな夜(よ)をかさねさすがに馴(な)れし夜(よる)の衣(ころも)を
(どうして今まで夜をともにしなかったのかわからない。幾夜も幾夜も夜の衣をともにしてきた私たちなのに)

とさらりと書いてある。光君が、あんなことをするような心を持っていると紫の女君は今まで思いもしなかった。あんないやらしい人をどうして疑うことなく信じ切ってきたのかと、情けない気持ちでいっぱいになる。

心から傷ついている女君

昼近くなって光君は西の対にやってきた。

「気分が悪いそうだけれど、どんな具合ですか。今日は碁も打たないで、退屈だなあ」と言って几帳をのぞくと、女君は着物を引きかぶって寝たままだ。女房たちがみな離れて控えているので、女君に近づいて、光君は言う。「どうしてそんなに私を嫌がるの。思いの外、冷たい方だったのですね。女房たちも何かおかしいと思いますよ」と、引きかぶった着物をはがすと、女君はひどく汗をかいていて、額の髪も濡れている。「おやおや、これはよくない。たいへんなことだ」などと、何かと機嫌をとってみるが、心から傷ついている女君は一言も言わず黙りこんでいる。「わかったよ。もう二度とお目には掛かりません。恥ずかしい思いをするだけだから」

光君は恨み言を言って硯箱を開けるが、返歌はない。まるっきり子どもではないかといとしく思え、一日じゅう御帳台(みちょうだい)の中にこもってなぐさめるけれど、女君の機嫌はいっこうになおらない。そんなことも光君にはかわいらしく思える。

その夜は無病息災、子孫繁栄を願って亥(い)の子(こ)餅(もち)を食べる日だった。光君が喪に服しているので、大仰にはせずに、女君のところにだけ、洒落た折り箱に色とりどりの餅を入れたものが用意された。それを見た光君は西の対の南面に惟光(これみつ)を呼んだ。

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