夕顔 人の思いが人を殺(あや)める
だれとも知らぬまま、不思議なほどに愛しすぎたため、
ほかの方の思いが取り憑いたのかもしれません。
女はどこのだれであるのか
それはそうと、あの惟光(これみつ)がまた報告にやってきた。頼まれていたのぞき見の件を、じつにくわしく調べてきたようである。
「西の家の女主人がどこのだれであるのか、まったくわからないのです。ずいぶんと慎重に、人目を忍んで隠れているようですよ。若い女房たちは退屈なのか、大通りに車の音がしますと、母屋の邸(やしき)から、例の半蔀(はじとみ)のある長屋に揃(そろ)ってやってきては、おもてをのぞいて見ているのですね。そんな時に、この女主人もいっしょに見にくることもあるみたいです。ちらりと見ただけですが、顔立ちはじつにかわいらしい。先日、先払いの者が声をかけながら、牛車(ぎっしゃ)を走らせていったんですが、それを見ていた童女(わらわめ)が、『右近(うこん)の君、早くごらんなさいませ、頭中将(とうのちゅうじょう)殿がお通りになられますよ』と言っているのです。すると中から、様子のいい女房が『しっ、静かに』と手で制しつつ、『どうして中将さまとわかったの。どれ、私も見てみよう』と言いながら出てきたのですよ。ところが、母屋から長屋に渡してある、打橋(うちはし)のような板を急いで渡ろうとしたものだから、着物の裾を引っかけて、よろよろと倒れて打橋から落ちそうになってしまったのです。『まあ、葛城(かずらき)の神さまったら、危なっかしく橋を架けてくれたものだわね』なんてぶつくさ言いながら、のぞき見る気もなくしたようです。それにしても、醜いことを気にして、昼は働かず夜しか働かない葛城の神が中途半端に架けた岩橋の伝説が、そんなふうにぱっと口をつくのですからたいしたものです。しかもこの童女が、『お車の中の中将殿は、御直衣(おのうし)姿で、御随身(みずいじん)たちもおりました。だれとだれがおりましたよ』なんて、証拠を挙げるみたいに、頭中将の随身や小舎人童(こどねりわらわ)たちを数え上げるのですよ」
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