綱渡りな「明け方の恋の道」に募る、その女の不安 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・夕顔④

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粗末な板塀に白い花がひとつ、笑うように咲いている(写真:yasu /PIXTA)
輝く皇子は、数多くの恋と波瀾に満ちた運命に動かされてゆく。
紫式部によって書かれた54帖から成る世界最古の長篇小説『源氏物語』。光源氏が女たちとさまざまな恋愛を繰り広げる物語であると同時に、生と死、無常観など、人生や社会の深淵が描かれている。
この日本文学最大の傑作が、恋愛小説の名手・角田光代氏の完全新訳で蘇った。河出文庫『源氏物語 1 』から第4帖「夕顔(ゆうがお)」を全10回でお送りする。
17歳になった光源氏は、才色兼備の年上女性​・六条御息所のもとにお忍びで通っている。その道すがら、ふと目にした夕顔咲き乱れる粗末な家と、そこに暮らす謎めいた女。この出会いがやがて悲しい別れを引き起こし……。
「夕顔」を最初から読む:不憫な運命の花「夕顔」が導いた光君の新たな恋路
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夕顔 人の思いが人を殺(あや)める

だれとも知らぬまま、不思議なほどに愛しすぎたため、
 ほかの方の思いが取り憑いたのかもしれません。

 

恥ずかしさなどおくびにも出さず

今宵八月十五日。夜、さえざえと夜を照らす中秋の満月の光が、隙間の多い板葺(いたぶ)きの家のあちこちから射(さ)しこんでいる。光君には、見慣れない暮らしの様子も興味深い。そろそろ夜明けも近いらしく、目を覚ました隣近所の男たちの野太い声が聞こえてくる。

「まったく寒くてたまんねえな」

「今年はもう米の出来もよくはねえし、田舎に買い入れにいくのもあてにならねえ、確かに心細いな。北隣さんよ、聞いてんのかい」

などと言い交わしている。それぞれの、細々とした暮らしのために早くから起き出して、気ぜわしく男たちが立ち働いている、その様子が間近に聞こえるのを女は内心恥ずかしく思っていた。もし体裁を気にする気取り屋の、いいところばかり見せたがる見栄っ張りだったら、消え入りたくなったことだろう。けれども女は恥ずかしさなどおくびにも出さず、恨めしいことも嫌なことも決まり悪いことも気に病むまいとして、のんびりと優雅にかまえている。隣の家から聞こえてくるあけすけな会話の意味も、じつのところ女にはよくわからないのである。そんな女の様子は、恥ずかしがって赤くなったりするよりは、光君にはかえって感じよく思えた。

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