夕顔 人の思いが人を殺(あや)める
だれとも知らぬまま、不思議なほどに愛しすぎたため、
ほかの方の思いが取り憑いたのかもしれません。
恥ずかしさなどおくびにも出さず
今宵八月十五日。夜、さえざえと夜を照らす中秋の満月の光が、隙間の多い板葺(いたぶ)きの家のあちこちから射(さ)しこんでいる。光君には、見慣れない暮らしの様子も興味深い。そろそろ夜明けも近いらしく、目を覚ました隣近所の男たちの野太い声が聞こえてくる。
「まったく寒くてたまんねえな」
「今年はもう米の出来もよくはねえし、田舎に買い入れにいくのもあてにならねえ、確かに心細いな。北隣さんよ、聞いてんのかい」
などと言い交わしている。それぞれの、細々とした暮らしのために早くから起き出して、気ぜわしく男たちが立ち働いている、その様子が間近に聞こえるのを女は内心恥ずかしく思っていた。もし体裁を気にする気取り屋の、いいところばかり見せたがる見栄っ張りだったら、消え入りたくなったことだろう。けれども女は恥ずかしさなどおくびにも出さず、恨めしいことも嫌なことも決まり悪いことも気に病むまいとして、のんびりと優雅にかまえている。隣の家から聞こえてくるあけすけな会話の意味も、じつのところ女にはよくわからないのである。そんな女の様子は、恥ずかしがって赤くなったりするよりは、光君にはかえって感じよく思えた。
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