綱渡りな「明け方の恋の道」に募る、その女の不安 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・夕顔④

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夜明けも近づいた。暁を告げる鶏(とり)の声は聞こえず、祈りを捧(ささ)げる年寄りじみた声が聞こえてくる。御嶽(みたけ)に参籠する前に、千日の行である御嶽精進(みたけしょうじん)を続けているのだろう。仏前に額をついているようだが、立ったり座ったりするのもつらそうである。こうして一日に何千回も、立っては仏の名を唱え、座っては礼拝する勤めを続けていると思うと、光君は老人をあわれだと思った。夕にはあとかたもなく消えてしまう朝露のような人生なのに、何をそんなに欲張って我が身の利益を祈るのだろう。けれど「南無当来導師(なむとうらいどうし)」と弥勒菩薩(みろくぼさつ)を熱心に拝んでいる声を聞き、

「ほら、聞いてごらん。現世利益かと思ったら、そうではない、あの人も今世ばかりとは思っていないようだ」と言い、詠む。

優婆塞(うばそく)が行ふ道をしるべにて来(こ)む世(よ)も深き契(ちぎ)り違(たが)ふな
(修行する人の仏の道に従って、来世でも、二人の深い約束に背かないでくださいね)

「夕顔」の人物系図

未来への約束はいかにも大げさだけれど

長恨歌(ちょうごんか)にうたわれる玄宗(げんそう)皇帝と楊貴妃(ようきひ)の例では縁起が悪いので、死んだら比翼(ひよく)の鳥に生まれ変わろうとは言わず、弥勒菩薩があらわれるはるか先の未来を持ち出して約束するのである。そんな遠い未来への約束はいかにも大げさなのだけれど、女は、

前(さき)の世(よ)の契り知らるる身の憂さにゆくすゑかねて頼みがたさよ
(前世の宿縁のせいでこんなにつらい身の上であることを思うと、未来のことも頼みにできそうもありません)

といかにも心細い返歌をする。

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