このとき志望動機もままならない学生を迎え撃ったJTのツワモノたちが、後に米田さんの人生を変えることになる。最初に現れたJTマンは、見た目が「赤井英和」。機械系の出身でありながら、大学時代はキックボクシングをやっていたという豪快な人だった。そうかと思うと、次に現れたのは、物腰がやわらかくしなやか、まるで歌舞伎の女形「玉三郎」のような男性だった。
赤井英和の次に、玉三郎。米田さんが出会ったJTマンは、全員一見バシッとスーツにネクタイ決めており、第一印象は堅そうに見えたが、ふたを開ければ、愉快なキャラクターのオンパレード。米田さんは、みるみる“動物図鑑”のようなJTに魅了されていった。
大学院に進学するか、JTに入るか。内定をもらった米田さんに与えられた猶予は一週間。いくつかほかの会社も訪問したが、JT以上に肌感覚が合う会社が出てこなかった。2年間大学院に行き、結局JTに入ることになるなら、なぜ学部のときに入らなかったのだろうと後悔するかもしれない。そう考えた米田さんは、締め切り前日の夜ギリギリに、最後は「えいやっ!」で入社を決断した。
多少のことでは、クビにならない!
JT入社後、米田さんは2つの出来事をきっかけに“変な人”へと目覚めていく。まずは入社5年目の在外事務所研修。ニューヨークの事務所で研修を受けることができる制度で、内示をもらうことができた米田さんは希望に燃えて周囲への挨拶回りに励んだ。
ところが! なぜか皆、祝福してくれる気配がない。それどころか、「かわいそうに……」という反応まで返ってくる。その理由はすぐに判明する。すでに別の内示で、社内でも(よくも悪くも)滅茶苦茶な仕事をすることで有名な人が、米田さんの上司としてニューヨークに着任することが決まっていたのだ。
「その上司の何が滅茶苦茶かというと、とにかく自分がやりたいと思ったことを何でもすぐにやってしまい、しかも失敗しまくるのです。普通の人であれば5しかやらないところを100チャレンジする。そして、100個中99個失敗する。時代を先取りしすぎるというか、当時の技術ではできないことを仕掛けて、社内に大混乱を招き、処分を受けたこともある人でした。
ところが、100回に1回だけ場外ホームランを飛ばすので、社内で『やっぱりこいつはいいね!』と言う人もいました。ほかの会社であれば、きっとその人が偉くなることはなかったと思いますが、JTの懐の深さなのでしょうか(笑)、最終的にその方はかなり偉くなられました」
そこで米田さんは、悟った。「この人を見ていて、『自分はここまで滅茶苦茶はできないから、多少無茶をしたところで絶対クビになることはないな』と。言葉で『出る杭も打たれない』と言われるだけでは不安ですが、リアルに自分の目で『そこまでやってもクビにならないんだ』という実例を見ることができたのは、私にとって貴重な経験でした(笑)」
もうひとつの出来事は、研修を終え、人事部に配属になり、採用担当になったときのことだった。
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