自分の弱みに気づくことが、後々の成長に結びつくかもしれませんから。見出しの「やさしい目を持つ」とは、相手を正当に評価することでもあるのです。
問題は「言い方」でしょう。同じ言葉を投げかけるにしても、笑顔で語りかけるのか、苦虫をかみつぶしたような顔をしていうのかで、受ける印象はまったく違ってきます。
笑顔を見れば、相手は心を開きます。逆に仏頂面や怒った顔を向けられると、相手は心を閉ざします。笑顔でないと、せっかくの親切心も伝わらないのです。
仏教では、和顔施(わがんせ:笑顔)は「無財の七施(しちせ)」、つまりお金のかからないお布施の1つに数えられています。人間関係において“笑顔の出し惜しみ”は御法度ですよ。
私は“素顔の私”をつらぬく
あなたはみんなに「いい人」だと思われたいですか? だとしたら、それはやめたほうがいい。なぜなら「誰にとってもいい人」になろうとして、接する人ごとに「いい人」を演じ分けなければならなくなるからです。
十人いれば十人、百人いれば百人、千人いれば千人……それぞれにとっての「いい人」は異なります。そんなに大勢の人にとって都合のいいように自分を変えていくなんて、想像しただけでものすごく疲れます。
「怪人二十面相」よろしく、相手に合わせて“いい人仮面”をかぶっていると、やがて自分自身を見失ってしまうのです。
すでに複数の“いい人仮面”を有している自覚のある人は、すぐにすべての仮面を捨てるべし。そして「私は“素顔の私”をつらぬく」と、心を切り替えましょう。
周囲だって、しっかりとキャラの立ったあなたと向き合うほうが、「この人はこういう考え方をするんだな。こんな好みがあるんだな。これが得意なんだな」と理解を深めてくれるはずです。
不平不満ばかりいっていると、心に暗雲が広がります。
視界がどんどん狭まり、先行きがまったく見通せない、そんな状況に陥るでしょう。広く開放された心持ちを取り戻さないと、ずーっと冴えない気持ちで暮らすことになります。
では、どうすれば“心の天気”を曇りから晴れへと切り替えられるのか。とっておきの方法があります。それは、どこまでも続く広大な青い空を見上げることです。
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