たとえば家柄を笠に着て「庶民とはつき合えないよ」といわんばかりに偉そうにふるまう。実力もないのに学歴をひけらかして「それは自分のやる仕事じゃないね」などとうそぶく。
あるいは高齢者だと、リタイアしたあとも若い世代に「私はこのやり方ですごい数字を上げてきたんだ。一大プロジェクトをモノにしたんだ」などと過去のやり方を押しつける。
そういったプライドは誇りではなく、傲り(おごり)でしかないのです。
その辺をごっちゃにしないよう、妙なプライドが顔を出しそうになったら、こう自分に問いかけてみてください。
「いまのその気持ち、プライドですか? いま誇ろうとしているその成功、過去のものではありませんか?」と。
「正論を吐く」人は嫌われる
誰もが「道理にかなっている」と思える、いわゆる「正論」でさえ、ときに受け入れられないことがあります。
「君のいっていることは正論だ。ただ少し現実離れしてるね」というふうに。実際問題、「正論を吐く」人は嫌われることがけっこうあるのです。
ましてや自分が個人的に「正しい、これこそが正義だ」と思っている考えや意見など、周囲がどう判断するかはまったくわかりません。正義の解釈は人の数だけあるといっても過言ではないでしょう。
それなのに自分の「正義」を一方的に声高に主張すれば、方々から反感を買うこと必至。争いの火種を投げ込むようなものです。そんな事態を招かないためには、自分にとっての「正義」を疑ってかかることが重要です。
まずは「自分はこう考える」「こんないいアイデアを思いついた」と簡単に説明し、「みんなはどう思う?」と意見を求めるのです。
そのほうが素直に聞いてもらえるし、ほかの考え方やアイデアも出やすくなるでしょう。何事も多彩な視点から活発に意見交換をするほうが、結果的にいいものが仕上がるのではないでしょうか。
自分の短所や弱点を指摘されるのは、あまり気持ちのいいものではありません。とくにそこに悪意がひそんでいると、いわれたほうはひどく落ち込みます。
相手の身になれば、いかに好感を持てない相手であっても、いちいち目くじらを立てるのは控えるべき。もっとやさしい目で長所を見つけてあげるのがいいかと思います。
とはいえ、指摘してあげたほうが親切な場合もあります。
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