本書は本業で「やりがい」を求めないほうがいい理由のひとつに、本業にやりがいばかりを求めすぎると「やりがい搾取」の罠にはまってしまうからだと指摘する。
「やりがい搾取」とは、社会学者の本田由紀が名付けた、安定雇用や賃金以外の「やりがい」を提供することで不当に労働力を動員させようとする企業のあり方である。本田はこれについて、安定雇用や賃金の提供なしに労働力がほしい企業と、「やりがい」を求める若者がいることの双方が作用して生まれた状態だと述べている。
そして、若者たちのなかにも、こうした「〈やりがい〉の搾取」を受け入れてしまう素地が形成されている。「好きなこと」や「やりたいこと」を仕事にすることが望ましいという規範は、マスコミでの喧伝や学校での進路指導を通じて、すでに若者のあいだに広く根づいている
「やりがい」を求めないほうがいい理由
つまり、「やりがい」を仕事に求めすぎると、むしろ「やりがい」しか仕事になくなってしまう。本田が警鐘を鳴らしたのはそこだった。
たしかに、この「やりがい」を求めすぎる若者に対して、企業では「やりがい」を満たさなくていいんだ、という声掛けは有効に働くだろう。実際、『やりたいことは「副業」で実現しなさい』の作者もまた、「副業を始めて、やりたいことが満たされてくると、『会社も思いの外、悪いところではないな』と思える心のゆとりが出てくることもあります」と語っている。たしかに会社に求めるもの――賃金や福利厚生ややりがい――の一部を副業に分散させる、という手段は悪いものではないだろう。
しかし一方で、それでは副業に「やりがい」を求めた時、副業ならば「やりがい搾取」されることはなくなるのだろうか?
つまり、本業にも「やりがい搾取」の恐れがあるのと同様に、副業にも「やりがい搾取」の恐れは存在しているのではないか。私はそこを考えたいのだ。
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