――いわゆる建て替えプロジェクトは、古い建物を解体して新しいビルを建てることを指し、効率的な期間と費用をはじき出して行うのが通常です。ただ、「ソニービル」は様子が違っていて、現在建て替え中の場所は、前のビルを壊した後、2年前くらいまで「Ginza Sony Park(ギンザ ソニーパーク)」でした。
永野:はい、この建て替えプロジェクトでは、①「ソニービル」を壊す、②「Ginza Sony Park」にする、③新しい「Ginza Sony Park」を建てるという3段階のプロセスを踏んだのです。②のパートとして、2018年8月から2021年9月末まで、イベントやライブなどのプログラムを行っていました。
「建てない」建て替えプロジェクト
――そのプロセス自体がユニークです。なぜそういう道を選ばれたのですか。
永野:「ソニービル」の建て替えプロジェクトは、2013年、当時の社長である平井一夫の直下で始まったものでした。
「次世代のソニーの象徴になるような新しいビルディングにしよう」という意図でスタートしたのですが、いわゆる常識的なプランに収まりそうになっていたのです。それではソニーらしくない、独自性がないということから、僕が指示を受け、改めて議論・検証を重ねました。
――独自性を追求した結果、「ソニーパーク」に行き着いたのですね。
永野:一気にそこに行ったわけではありません。外部の有識者も交えて話し合う中で、「建てない」という選択肢が出てきたのです。そこから公園というアイデアへとつながっていきました。
ソニーの創業者の一人だった盛田昭夫は、1966年にソニービルを建てた際、ソニーの情報発信拠点として「街に開かれた施設」を目ざしていたのです。その象徴的存在だったのが、数寄屋橋交差点に面した10坪ほどのスペース。「ソニースクエア」と名づけ、ソニーとは直接関係のないイベントを行っていました。その思いを、われわれも継承すべきと考えたのです。
――それが公園という発想につながっていったのですね。
永野:約50年にわたり銀座という街にお世話になってきたという思いもありました。①ソニービルのコンセプトの継承、②銀座の街に対する恩返しということから、公園という方向に向かっていったのです。ただ、700平米ほどの土地ですから、広々とした公園を作れるわけではありません。そこで“ソニーが作る都会の中の公園”として再定義したのです。
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