家康との二元政治では、秀忠のもとに、政治力の優れた本多正信がお目付け役として付けられたことは連載ですでに述べたが、そのときに正純は家康のもとに置かれた(記事参照「天皇激怒『宮中震撼させた女性問題』家康の対応力」)。
家康に長く付いていた正純からすれば、秀忠をリーダーとして正しいほうへ導かなければ、と考えたのかもしれない。正純は家康にも異論を唱えることがあり、そのことが一層家康からの信頼を厚くした。
口出しをしてくる家臣を嫌った
だが、秀忠が最も嫌うのは、先代と自分を比べているかのように、そういう口出しをしてくる家臣である。
どいつもこいつも自分を軽んじている――。秀忠の怒りは収まらず、正純も遠国へと流してしまう。処分を下す際に、秀忠がよく使った言い回しはこれである。
「御奉公然しかるべからず」
働きぶりが不十分である――。何とも漠然としているではないか。要は気に食わないということだろう。
その代わりに、酒井忠世や土井利勝を老中として側近に固めた秀忠。少しでも歯向かう可能性のある大名は片っ端から、改易や転封を行い、自らの地位を盤石なものにした。
ただし、そんな臆病な秀忠だからこそ、江戸幕府の基礎固めが行われたのも、また事実である。元和9(1623)年、秀忠は将軍の座を次男の家光に譲り、父と同じように大御所として権勢を振るうのだった。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
福田千鶴『徳川秀忠 江が支えた二代目将軍』(新人物往来社)
山本博文『徳川秀忠』(吉川弘文館)
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