人工流れ星に挑む彼女が1浪東大で得た気づき 夢を追い続けた理由を岡島礼奈さんに聞く

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「二次試験で求められる力が足りていなかったんです。合格する力があったのに本番に弱かったわけではなくて、もともと合格までに必要な実力がなかったんです

結局、この年は滑り止めであった早稲田大学の理工学部も落ちてしまったために「どこにも受かっていないから仕方なく」浪人を決意します。

こうして現役時の受験を不完全燃焼で終えた岡島さんは高校在学中から通っていた数理研究会に引き続き通うかたわら、ほかの高校での授業を受けるようになります。

「当時、鳥取県では浪人生を受け入れて、浪人生向けに授業を行ってくれる環境があったんです。それで、実家から歩いて30分のところにあった鳥取城北高校に行って、16時過ぎまで授業を受け、17時に帰宅してから3時間ほど家で勉強するという生活を送るようになりました」

この教育機関は『補習科』といいます。大手予備校が近くにない西日本の地方の地域で、普通科の高等学校が大手予備校よりも安い値段で浪人生を受け入れ、授業の面倒を見るという仕組みで、2010年ごろを境に鳥取県ではなくなりましたが、現在でも岡山県や島根県などで行われています。

この補習科による浪人の1年によって、岡島さんの頭の中がどんどん整理されていったと言います。

成長を感じられた浪人生活

「浪人の1年は、朝から晩まですべて勉強に時間を費やせる環境がありました。『今月は物理、次の月は化学』といったように自分で毎月強化する科目を決めて重点的に勉強していたので、まとまって知識をつけることができたと思います」

そのおかげで模試の結果はだいたいB~A判定で安定したそうです。

「この1年で、自分の中でいろんな教科の考え方が完成されていきました。高校2年生ですべてのカリキュラムが終わる中高一貫校の人たちは高校3年生の最後の1年を演習に費やしますが、自分もそのような生活ができていたのだと思います」

成長を感じられた1年でした」と語る彼女は、センター試験の結果は前年度と変わらなかったものの、本質的な理解が必要となる東京大学理科I類の二次試験では、その積み重ねの成果を十分に発揮し、見事に合格しました。

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