僕が間近に砲弾飛ぶシリアで迫られた究極の選択 国境なき医師団は現地病院の閉鎖すら覚悟した
スーダン、シリア、イラク、イエメン…… 。世界の紛争地区、避難する人々は、着のみ着のまま逃れてくる。そして、ようやく逃れてきても、家はない。学校もない。
でも、命はある――。そんな世界一過酷な場所で、生き抜いている人々を目の当たりにしてきた国境なき医師団 日本の事務局長である村田慎二郎氏が実体験をもとに「命の使い方」を記した『「国境なき医師団」の僕が世界一過酷な場所で見つけた命の次に大事なこと』から一部抜粋、再構成してお届けします。
シリア政府軍からの砲弾
2012年。トルコとシリアの国境沿いにある小さな村。
国境なき医師団の僕のチームは、反政府側の地域にあるその村の小学校の校舎と運動場を借りて病院をつくった。
内戦がはじまってまだ2年目。だが現地の多くの医療施設は、砲撃などで負傷した人たちの外科手術の対応にばかり追われていた。
戦争や紛争の被害者というのは、空爆などで緊急の手術が必要な患者だけではない。女性や子ども、お年寄りなど医療が必要な人たちはいくらでもいる。そこで僕たちは、救急処置室や手術室など以外に、内科、産婦人科、入院病棟、そして子どもの予防接種もできる病院をつくった。
幅広いニーズに対応できるという評判は広まり、すぐにアレッポ県北部にある約30の村や町から患者がたくさん来るようになった。
ただ、いい時期は長くは続かなかった。
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