僕が間近に砲弾飛ぶシリアで迫られた究極の選択 国境なき医師団は現地病院の閉鎖すら覚悟した

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翌年の1月、病院がある村を取り囲むように1発、2発とシリア政府軍からの砲撃が着弾するようになった。

1週間に約1回、近くに砲撃を受けながらの医療活動。夜中に1キロメートルほどの距離に着弾すると、日常の生活では聞いたことがない衝撃音。見たことがない閃光(せんこう)が走る。

そんな砲撃が何週間も続くと、しだいにチームに恐怖感が出はじめた。

当然だ。国境なき医師団といっても、プロジェクトの約4割は政情が安定した国での仕事だ。残りの約6割が紛争地などの政情が不安定な国や地域だが、それでも銃撃戦に巻き込まれないようにすればよいレベル。

シリアの内戦のように、砲撃や空爆がある本当の戦地で働くのは、多くの海外派遣スタッフにとってはじめてだった。

2020年2月17日、シリア北西部カディムーンキャンプにあるMSFの移動診療所で医師と話す避難民となったシリア人男性(©MSF)

問題は、シリア政府軍の狙いがなにかがわからなかったこと。

この村には反政府軍の拠点はない。だとすると、国境なき医師団の病院への攻撃か。あるいは、近くにある検問所が標的か。それとも、国境付近にある国内避難民のためのキャンプを狙っているのか――。

現地スタッフの中には「これはアレッポから出ていけという、国境なき医師団に向けたシリア政府からのメッセージだ」と言う人もいた。事実、この砲撃がはじまったのは、シリア政府軍の民間人への空爆を非難する僕のインタビューが『The New York Times』に出た直後からだった。

国境なき医師団がいる村から半径1キロメートルほどで取り囲むように5発が着弾していることを考えると、その可能性は否定できなかった。

いずれにしても、政府側とのネットワークを通じてのシリア軍への抗議には、期待できなかった。そもそも反政府側がコントロールしている地域で活動していることに、シリア政府は許可を出していなかったからだ。

このままいくと、いつか病院に命中する――。そんな空気がチームを支配した。僕は現地の活動責任者として、決めなければいけなかった。

だれかの死につながる究極の選択

違う場所への移転も考えたが、もし砲撃の狙いが僕たちの病院なら移転先でもリスクはつきまとう。

①この病院を閉鎖してプロジェクトを終了させる
②この病院でこのまま、医療を届けるための人道援助の活動を続ける

選択肢はこの2つしかないように思えた。

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