僕が間近に砲弾飛ぶシリアで迫られた究極の選択 国境なき医師団は現地病院の閉鎖すら覚悟した

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彼の兄はスペインの軍隊にいる。その兄に彼が戦地で砲撃から基地を守るにはどんな手法があるのかを尋ねたところ、「HESCOだ。HESCOを使えばいい」と言われたという。財務担当からそのような案が出てくるのが意外だったが、やはり聞いてみるものだ。

国境なき医師団が、病院を守るためとはいえ軍隊の手法を使う――。奇抜なアイデアのようにも思えたが、この状況ではやってみる価値はある。すぐにヨーロッパにある統括部門に相談して同意を得て、緊急の予算をとりつけた。

そして3週間だけ病院を閉鎖し、その間はスタッフに別の地域の病院の手伝いに行ってもらった。ショベルカーとトラックを何台も動員した大規模な工事は、村の人たちが総出で手伝ってくれた。

約束どおり3週間が経つと、見事に高さ5メートル、厚さ2メートルの土のかべに囲まれた要塞のような病院に生まれ変わった。これでこのかべの外側の15メートル以上離れた地点に砲撃で着弾した場合、内側にいるスタッフや患者は助かる。

だが、リスクは残った――。

病院の真上から砲弾が直撃した場合は、防ぎようがない。

その点はスタッフ全員に、しっかりと伝えることにした。ある日の夕方、校庭に現地スタッフ96人、海外派遣スタッフ13人に集まってもらい、説明をした。

スタッフ96人全員が残った

「見てほしい。ここまでできた。本当にありがとう。これで砲撃からのリスクをかなり下げることができる。ほとんどの場合、病院の敷地の中にいる人は安全だ。みんなの協力のおかげだ」

「でも――、リスクはゼロにはできなかった。リスクはどうしても残る。砲弾が真上から直撃した場合、防ぎようがない。もし、不安に思う人がいるなら辞めてもらっても大丈夫です。このかべが、我々の安全を完全に保障するものでないことは認めます。だから強制はしません。大事なことなので自分でよく考えて、あとで教えてほしい」

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みんな真剣なまなざしでこちらを見て、話を聞いてくれた。

後日、何人かと手分けをしてスタッフとひとりずつ面談をしていった。僕は、スタッフの3割ぐらいは辞めるかもしれないと覚悟していた。

ところが、だ。現地スタッフ96人、全員が残ると言ってくれた。「自分はもっと前線に近いところに住んでいるので、こんな砲撃はよくあるんです」「ここまでしてくれてありがとう。感謝しています」と言ってくれるスタッフが多かった。

海外からのスタッフも、「このかべを見て安心した。リスクはかなり下がったと思う」と言って全員が残った。僕は彼らに救われ、プロジェクトは存続の危機を乗り越えることができたのだ。

村田 慎二郎 国境なき医師団 日本事務局長

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むらた しんじろう / Shinjiro Murata

1977年、三重県出身。静岡大学を卒業後、就職留年を経て、外資系IT企業での営業職に就職。国境なき医師団を目指すも英語力がゼロのため二度入団試験に落ちる。2005年に国境なき医師団に参加。2012年、派遣国の全プロジェクトを指揮する「活動責任者」に日本人で初めて任命される。2019年より、ハーバード・ケネディスクールに留学。授業料の全額奨学金を獲得し、行政学修士(MPA)を取得。2020年、日本人初、国境なき医師団の事務局長に就任。現在、長期的な観点から事業戦略の見直しと組織開発に取り組む。学生や社会人向けのライフデザインの講演も行っている。メディア出演多数。

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