赤司:既にある「正しい道」を教えるだけなら、それこそAIでもできる、という話になっていきますよね。
住田:そうですね。生徒の発言や行動に表れる「その子らしさ」をどう拾っていくか、そしてどのくらい一緒になって面白がれるか。それこそが人間にできることではないでしょうか。否定するのではなく、自分の言ったことを一緒に面白がってくれる先生がいる学校は、きっともっと楽しくなりますよ。
先生が自由な発想を面白がれる学校現場か
赤司:新陽高校の先生たちを見ていても思うことですが、いわゆる探究学習の授業を設計するのが得意な先生と苦手な先生がいます。
「正解」を教えるのに慣れている先生は、探究学習の授業でもどこかにそれを埋め込んでいたり、生徒を誘導するような課題設定だったり、いずれにしてもアウトプットのイメージが先行してしまいがちです。そうすると、うまく授業が進んでいるように見えても、生徒がワクワクして探究することが少ないように感じます。
住田:中学も高校も教科担任なので、自分の教科を極める方向にどうしても行ってしまいますよね。そうすると総合的横断的に探究するというのが苦手になってしまうケースが多い。
赤司:「どうなるかわからないけど、やってみよう」という先生のほうが、とてつもないアイデアを生徒たちから引き出すことがあります。もちろん失敗もするのですが、失敗さえも学び。わからない、自分では思いつかないことを面白がるというのは大事なポイントだと思います。
住田:先生が自由な発想を面白がるには、学校現場で自由にものが言えること、本音を言っても大丈夫という心理的安全性が担保されていることが必要です。
しかし実際はどうでしょうか。これまで子供の学びの空間をどうするかという視点はありましたが、教職員の働く場としての空間のあり方は見過ごされてきたように思います。教育業界に携わる私たちこそが、そのことを真剣に考えなければなりません。
(後編に続く)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら