赤司:大事なのは、これからは生き方として3ステージかマルチステージかということではなく、自分らしく生きるための選択肢が増える社会になっていくということではないかと私は思っています。
社会構想大学院大学の本間正人先生が、最終学歴ではなく「最新学習歴」を提唱していますが、大いに共感します。私の最終学歴は早稲田大学ですが、マルチなキャリアを描いている今、何の関係もない。「早稲田出身なんだね」という、ただのハッシュタグでしかありません。
それより今、何を学び続けているかのほうが大事ですよね。大学に行くのもいいけど、そこで終わりじゃない。何回でもやり直しができるし、50歳60歳になってからいいと思う大学に行きたければ行けばいい。そんな話を生徒たちにもしています。
住田:3ステージを生きてきた先生にとっては、選択肢が増えるという表現はすごくわかりやすいと思います。マルチステージの時代だと言われると、生き方を変えなければならないのかと構えてしまいがちですから。
でも一つの仕事をやり通すことが大事だという価値観を持ってきた人たちにとって、他の選択肢を選ぶという発想は持ちづらいかもしれませんね。「まず教員の道を極めろ」「最後まで勤め上げろ」となってしまうでしょう。それだと、自分の良さをもっと活かせる場があったとしても「いやダメだ」と思い込み、自ら選択肢を減らしてしまうことになりかねません。
赤司:わかります。若い先生でも、教員を夢見て、それで一生を終えたいからマルチステージを望んでいないという方もいます。それはそれでいい。何も3ステージの人生がダメだと言っているわけではありません。
きっかけ作り、環境作りで人は育つ
赤司:先日、学校の「総合的な探究の時間」で、社会起業家精神について学ぶというテーマを提案したことがあったのですが、「起業したことがないから教えられない」と不安がる先生が少なくありませんでした。教員をずっと続けるにしても起業家精神はとても大事だと思うのですが、なかなかそこを理解してもらえず、難しかったですね。
住田:自分が正しい答えを知っている、そうでなければ教えられないという、これもまた思い込みですよね。学校教育の基本は、自分の考えを押しつけることではなくて、「人が育つ場」であることだと思います。生徒はもちろん、教員も一緒に育っていけばいい。
では「育つ」とはどういうことかというと、自分と他人とが違う存在であることをまず知ること。たとえば校長がそれを知らず、「自分がこう思っているんだから皆もそうでしょ」と押しつけてしまえば、教職員は育ちません。やっぱり自分と他人は違うという前提のもとで、その人がどういうことを考えて何をしたいのか、相手の視点で見て任せていかないと、その人が育つチャンスを潰してしまいます。
決して放任主義というわけではなく、その人が育つように我々がきっかけを作り、環境作りをしていくということです。そのうえで、自身が意思決定をしてトライしていくことが大事なのだと思います。
信じて任せる。上意下達で、既知のやり方だけを押しつけていたのでは先生も育たないし、生徒も育ちません。