家康はというと、いつでも来たるべき事態に備えて手を打つ慎重さを見せながらも、ポジティブなリーダーだった。この場合の「ポジティブさ」とは「直面する事態を直視し、状況を受け入れながら、現実的な手を早めに打つということ」である。
家康の家臣のなかには、秀吉に従うことに反対する者も多かった。それだけに、新たな問題に直面したときのリーダーの振る舞いは重要だ。領内政治を整備させるよい機会とばかりに、政策を打ち出した家康の姿勢には、家臣たちも頼もしさを覚えたことだろう。
家康も予測できない秀吉のムチャ振り
紆余曲折を呑み込みながら、前進する――。秀吉に臣従してもなお、そんな家康の問題解決力が発揮されることとなった。
しかし、天正18年(1590)7月13日、秀吉の命令によって、家康はせっかく整備した駿府から引き離される。そして不毛の大湿地帯である江戸へと、国替えされることとなるのであった。
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』 (NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
野田浩子『井伊家 彦根藩』(吉川弘文館)
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